歴史総合No.3ヨーロッパ人の海外進出

皆さん、こんにちは。
りょう先生です。
今日は歴史総合の3回目。ヨーロッパ人が海外進出していく時代です。
近年、「グローバル化」が急速に進んでいますが、まさにそのはじめとなったのがこの時代。

先陣を切って海外進出したのが、ポルトガルとスペイン。彼らは一体何を目的に海外へ出ていったのでしょうか?

ヨーロッパ人の海外進出

15世紀末、イタリアの冒険家コロンブスは、スペイン女王の支援の下、アジアを目指しました。
彼の目的はアジアの香辛料・絹・金などでした。
ヨーロッパではとることができないこれらのものが、高価に取引されていたのです。

しかし、コロンブスはアジアへたどり着くことはできず、1492年にアメリカ大陸の島に到着します。
ここをインドのはずれだと思い込んだコロンブスは、原住民をインディオと呼び、島々を西インド諸島と名付けました。
コロンブスは亡くなるまで自ら到達したのが「新大陸」(アメリカ大陸)だと思っていなかったのです。

コロンブスと同じころ、ポルトガルの冒険家ヴァスコ=ダ=ガマがアフリカの南端喜望峰をまわって、インドに向かいました。
これはポルトガル王の命によるもので、1498年インドに到達しました。
ポルトガル商人はその後、マレー半島のマラッカを占領。
1543年には種子島に漂着し、日本に鉄砲を伝えました。

やがてポルトガルは、長崎の平戸にも貿易の拠点を置くも、江戸時代になると貿易から排除されました。
その後はヨーロッパの国の中ではオランダだけが日本との貿易を許され、平戸にはオランダの東インド会社の商館が置かれるように。

アジアとの交易を進めた大航海時代

ポルトガルに対抗心を抱いたのがスペインでした。
1519~22年にはマゼラン一行が初めて世界一周をはたしました。残念ながらマゼラン本人はフィリピンで死亡してしまったのですが。
マゼラン自身はポルトガル人だったのですが、スペイン国王の支援を得て、太平洋を航海しました。

「太陽の沈まない国」と称されたスペインは、フィリピンのマニラに拠点を置き、中国や東南アジアへの貿易に加わったのです。

さらにイギリス、フランス、オランダも、アジアへと船を出します。
このようにヨーロッパの商人・宣教師は様々な産物とキリスト教の新しい信者獲得をめざし、アジアやアメリカ大陸へ進出しました。

この時代を大航海時代(大交易時代)とよびます。

海外進出の影響

さて。ヨーロッパが海外へ進出することでアジアやアメリカ大陸がどのような影響を受けたのか確認してみましょう。

アジア
ヨーロッパ各国はアジア貿易の拠点となる東インド会社を設立します。
資本家(株主)たちから資金を集め、冒険家がアジアをめざして交易をおこなう。
冒険が成功したら、資本家たちに山分け。
これが株式会社のもととなりました。
彼らが手に入れたのは茶・陶磁器・綿織物など。
しかし、アジアに対して輸出できたのは南米産のだけで、対アジア貿易は赤字でした。

北アメリカ
北米は産物が少なかったため、イギリスやフランスからの入植者はしばらく自給自足生活を営み、先住民のネイティブ=アメリカンを支配しました。
また宣教師たちは積極的にキリスト教を広めました。

南アメリカ
が豊富に産出されたので、スペイン人が先住民のくにや文明を滅亡させ、銀山を開発。
大規模農園(プランテーション)を築いていきました。
現地の砂糖(サトウキビ)、ジャガイモ、トマト、唐辛子、タバコなどがヨーロッパに持ち込まれました。
また労働者として、アフリカから多くの黒人奴隷が連れ込まれたのです。

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