天皇が2人いると、どうなるのか?(日本史時代区分まるわかり5)

今日は時代区分の5回目。
今日のテーマは「天皇が2人いると、どうなるのか?」

日本の天皇は、いつの時代も同じ時期には1人しか存在しません。
しかし、例外的に、天皇が2人いた時代がありました。
天皇が2人いると、どうなってしまうのか?

では、後醍醐天皇による建武の新政から見ていきましょう!

建武の新政

元寇以後、鎌倉幕府への武士たちの不満がたまっていきました。
そのような情勢の中、倒幕運動を開始したのが、後醍醐天皇です。

後醍醐天皇 いらすとや

しかし、後醍醐天皇は独自の軍隊を持っている訳ではありません。
結局、武士たちに頼らざるを得なかったわけですね。

楠木正成らの武士が後醍醐天皇を支持します。
さらに大きかったのが、源氏の家系だった足利尊氏の存在です。
源氏は、源頼朝以来の、名門の武家ですね。

その尊氏が、後醍醐天皇を支持する方にまわりました。
これで形勢は倒幕側へ一気に傾き、鎌倉幕府は崩壊。

後醍醐天皇中心の、建武の新政がスタートします。

建武の新政

建武の新政は、天皇中心の政治が展開されました。
その結果、恩恵を受けたのは公家たち、つまり貴族たちでした。
天皇や貴族中心の鎌倉幕府が成立する前の政治を展開していったわけですね。

しかし、鎌倉倒幕のために頑張った武士たちの不満はたまっていきます。
せっかく、鎌倉幕府を倒したのに、貴族たちばかりが優先されて、武士たちが冷遇されたからですね。

その結果、たった3年で、建武の新政政府は失敗におわります。

建武の新政政府を倒したのも、足利尊氏です。
尊氏は、後醍醐天皇を京都から追い出し、新たに幕府を開きます。

南北朝時代

しかし、尊氏にとって後醍醐天皇は、大恩人でもありました。

足利尊氏 いらすとや


尊氏は、後醍醐天皇の倒幕運動に関わったからこそ、高い立場にいることができたわけですからね。

足利尊氏はもともと「高氏」を名乗っていました。

しかし、後醍醐天皇に可愛がられることで、後醍醐天皇の諱(いみな…本名みたいなもの)の「尊治」から「尊」の字をもらい、「尊氏」を名乗っていきました。

なので、尊氏は後醍醐天皇に対して処罰したり、拘禁したりなどの、厳しい対応をすることができませんでした。
その結果、後醍醐天皇は逃げだし、奈良県の吉野で南朝を開いてしまいます。

結果、足利尊氏の室町幕府が支持する京都の北朝と、後醍醐天皇がひらいた吉野の南朝の二つの朝廷が成立してしまいました。

南北朝時代です。

この南北朝時代は混沌の時代でした。
天皇が2人いるので、対立が絶えません。
そんな状態が60年近く続くわけですね。

ちなみにこの時代、室町幕府自体は成立していたので、
「室町時代でもあり、南北朝時代でもある」状態だったわけですね。

室町時代

南北朝の動乱を終わらせたのが、3代将軍の足利義満です。
彼は京都にいわゆる金閣寺(鹿苑寺金閣)を建てたことでも有名ですね。

金閣寺 いらすとや

彼は京都に花の御所と呼ばれる壮麗な御殿をたて、そこで政治を行います。
京都の室町通りに建てたので、室町幕府と呼ばれるわけですね。

その大きな権力で、二つの分かれていた朝廷を一つにします。
南北朝の合一ですね。

これ以降、室町幕府の権力は安定していきます。

このように、天皇が2人いる状態、権力者が2人いる状態というのは、
非常に不安定なことがわかります。

だからこそ、人々は平和を求めて、天皇を1人にしてきたわけですね。

今日の範囲のYouTube動画もあります。

コチラからどうぞ!

次回は、戦国時代の話を見ていきたいと思います。

ではでは(^^)/

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