そもそも日本人って?(日本史時代区分まるわかり1)

今日から、日本史の話をしていきましょう!
日本史には「時代区分」というのがあります。
「平安時代」とか、「室町時代」とか、あーいうやつですね。

これから何回かに分けて「時代区分」というのを見ていきましょう!
ただし。
「年号」や「西暦」については使わないで説明します。
なぜならば、「◯◯年に何があった」とか入ると、急に勉強したくなくなりますよね?

なので、今回は歴史の「大きな流れ」をつかむことを重視していきます。

さて、今日お話ししていくのは「日本人がどのように形成されたのか?」
という話です。

結論から言うと、今の日本人は主に「縄文人」と「弥生人」からできています

以下の時代を見ていきましょう。

  • 旧石器時代
  • 縄文時代
  • 弥生時代

それでは、今日の授業をはじめていきます!

旧石器時代 「旧い石器」を使った時代 

さて、人間が誕生し、石器を使いはじめた時代、これを「旧石器時代」と呼びます。

「石器」というのは、石を道具として使ったものですね。
この時代は打製石器と呼ばれる、石を打ちつけて鋭くしたものを使っていました。

この後の時代は、磨製石器と呼ばれる、磨かれた新しい石器を使っていくようになりました。

それ以前の、旧い(ふるい)石器を使っていた時代だから、旧石器時代と呼ばれるんですね。

縄文時代 「狩り」と「拾い食い」の時代

その後、縄文人と呼ばれる人々が日本に入ってきました。

濃い感じの顔の人たちです。

縄文人 ©︎いらすとや

こんな感じの人たちですね。
これらの人々が日本に入ってきました。

彼らは狩猟採取を中心とした生活を営んでいきました。

狩猟とは「狩り」のこと。
動物を狩りでとってきて生活をしていたわけです。

採取というのは「拾い食い」のこと。
つまり、自分たちで植物を育てることはほとんどしないで、
木の実やキノコなどを拾って食べていたのです。

なので、付近の動物や植物を食べ終えたら、移住することになります。
縄文時代の人々は、引っ越ししやすいように小規模の人数で生活していたのです。

弥生時代 「稲作」「定住」の時代

弥生時代になると、朝鮮半島や中国から弥生人が入ってきました。

弥生人 ©︎いらすとや

こんな感じの、薄い顔の人たちです。

彼らは日本に稲作の技術を持ってきました。
要するに「お米づくり」ですね。

お米が作れるようになるということは、食料の計画ができるようになるということです。
つまり「来年もこのぐらいお米が収穫できるな」ということがわかると
人口が爆発的に増えるわけです。

さらに、田んぼは持ち歩くことができません。
なので、人々は「移住」する生活から、一か所に居住する「定住」へと
変わっていきました。

さらに、集団で稲作をすることによって、指示をする人と、
指示を受ける人の役割がわかれるようになりました。

その結果、一部の人に権力が集中するようになりました。
邪馬台国(やまたいこく)卑弥呼(ひみこ)などが‘有名ですね。

そして、弥生時代以降、「縄文人」と「弥生人」が混血して、
現在の「日本人」の原型になっていきました。

次回は、さらに一部の人に権力が集中していった「古墳時代」から
見ていきたいと思います。

今日の範囲のYouTube動画もあります。
コチラからどうぞ!

ではでは(^^)/

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